内田義彦「社会認識の歩み」Ⅰ部の要約と感想                

社会認識の歩みを読んだので、第Ⅰ部について簡単に要約と、感想をまとめてみた。この「社会認識の歩み」経済学史家でマルクス経済学者の著者である内田義彦が、市民向け講座で1971年に講義したものをまとめたものなのだ!

はじめに

「社会認識の歩み」という題

「歩み」 社会のなかで一人一人が歩みを進めてきましたし、現在もやはり一人一人が、社会とのいろいろな係わり合いのなかで歩んでいる。

「社会認識」 過去にたくさんの人々が、社会について、あるいは社会を成して生きている人間について思索を重ねてきたのであり、我々もまた社会とのかかわりありのなかで、一人一人歩んでゆく方法について模索を重ねている。

この本の内容

①過去の多くの人々が思索を重ねてきたあと、社会科学の歴史の歩みについての話

②われわれ一人一人が社会科学を勉強する方法の話

①②を結びつけ、社会科学の上での過去の歴史的遺産を現代に生きるわれわれ一人一人が社会を認識していく作業、方法を模索していく作業のなかで、どう生かせばおいいだろうかその方法を考える。

学問は手段化でも自己目的化でもあってはならない。→学問的思考を身に着ける意味がそこにある。

「方法」という言葉

①「方法論」といった場合の方法。(本質を統一的につかむということで、本質を問うことと関連をもっている。人間本質の問いと結びついている。)

②具体的な場合にどう仕事を進めていくかという場合の方法

 

3つの軸

①社会科学の歴史上の結節点、結節点を一人一人の人間のなかで社会科学的認識が成長してくる結節点、結節点と対応させて考える。

②社会科学的認識の深まりを、社会を成して存在する個体の自覚の深まりと対応させて考え。

③上記2つで見た意味での社会的認識の成長の結節点、結節点にこれまた対応させながら、本の読み方自体、比喩的にいえば、点、線、面というふうに、先ず断片を断片として読むことから始めて、その都度力点を意識的に変え、古典が現代のわれわれに語りかける諸相を漸次立体的に読み取る実験をすすめていく。

第Ⅰ部 社会認識を阻むもの

第1章 生活現実と社会科学

「社会科学の歴史と方法」の表題でも通じる内容

『社会認識の歩み』の表題の理由

「社会科学の歴史」「方法」という言葉から普通我々が思い浮かべることが、社会科学の本来のあり方、あるいは、これから書かれる本の内容とずれが生じているため。

つまり、表題の意図は社会科学がなぜ我々に縁遠いものになっているのか、どうすれば社会科学的認識が我々一人一人のなかで育っていくか、その方法を考えたいという趣旨である。

社会科学という言葉以外でも、言葉というのはそれがもっている意味とは違って一人歩きすることが多い。国によっても、風俗、習慣、その他色々違うため、ほぼ同じことを指す言葉でも、言葉のもつ重なりあう周辺が違う。

例 「社会科学」という言葉

現実生活のうえに立って、それを科学的に処理することで成立する 2つに分けて考える

日常語 日常の世界で(学者も含めて)我々が普段使っている。

学術語  学問の世界で用いる用語・学術語に付着する。

例2 「参加」という言葉の解釈

「勝つことではなく参加することが重要だ」 オリンピックで有名になった言葉

①  テイクパートの訳語から、ある特定の人が、ある特定の部署を責任をもって果たすという意味。(分担)一人一人の決断と行為と責任をもった厳しい言葉。

②  日本語は別の響き。ともかく顔を出しておけばいいんだろう、なにしろ参加することが大切だ。無責任な言葉。この背景には個人が集団に埋もれるという日本の社会の特質がある。

自覚した個々人が、共同の行為で共通の目的をもった集団を形成することが少ない。=集団を形成する一人一人の人間に社会科学」を何か他人ごとめいたものにし、日本式参加で埋まっていれば社会科学は身につかない。

一人一人が責任をもって問題を立てて結論を出すという共同の作業に参加することになると、事実を断片的に流れてくる情報をもとにして正確に捉えることが自分の問題となる。

一人一人のなかに社会科学的認識のそのもの端緒(物事の手がかり)ができる。(第二部第一章)

参加による集団(ボディ)の形成を契機にして、すべての人間が意識的に集団の意思を、また集団の意思なり構成を作る作業のなかで、社会認識がさらに深まっていくだろう。(第2部2章)

第2章「方法論」とメソドロジー

例「メソッド」を2つの辞書で引いてみる

①学問的な方法。整然とした道筋、秩序

②物事を(思考も含めて)上手に処理するやり方。燻製は肉料理の一つの方法。

2番で書いてあるように日常語を使うと子どもでも理解しやすい。

物事あるいは思考をうまくやりとげるためのある体系的な方法(メソッド)の基礎の上に、メソドロジー(方法論)を学ぶと学問的方法論という全体としての位置づけというものがうまくのみこめる。

例「メソドロジー」を辞書でみる

学問に限らずある規律には、いくつかの暗黙の前提があって、それを前提としていろんな方法がとられている。その前提と方法の総体である。

①ある学問なり修業法に含まれている前提と、相互に関連のあるさまざまな方法の総体。

②ある規律において、こういうさまざまな方法の総体をバラバラにせず、まさに関連ある総体(ボディ)をたらしめている大前提なり原則の吟味

③いろんな学問分野なり修業法には、それぞれいまいった意味でのメソドロジーがある。そのメソドロジーの前提やメソッドを、そのものとして論理的に問う。

日本の辞書での「メソッド」は諸学問の方法が、哲学というものの方法が載っている学問の程度が高い。しかし、方法や方法論が「日常の世界」から完全にきり離されたところで理解される。

日常の世界から脱却することは教えるけども、常識を学問的に批判することは教えられない。

 

一人一人が自分に問題をしょいこまないかがいり、社会科学的認識の端緒は成立しない。

事実はどうなんだという形だけではまだ社会科学的認識とまではいえない。

社会認識の芽が社会科学的認識として育つためには学問的方法が入らねばならない。

学問的方法→日本社会の特質に規定されて伸び悩みながらも現存する、個体の中の学問的芽を刈り取る形で「注入」されてこなかった。社会科学以前の学問一般の問題点。

第3章 社会科学の言葉

社会科学における言葉のずれの問題。日本と外国だけでない。ヨーロッパ諸国の間でも発生。

社会科学の用語が日常語と不可分に結びついている。よって、社会科学の作品の正確な翻訳は難しい。

①社会科学の作品は、それを作るほうでも、日常語を背景にして、日常語に含まれているいろんな意味を抽出しながら、それを社会科学の用語として使っていくほかはなく理解を受けて側でも日常語と結びつけて考えるべき。

②英訳者は、自国語で考え、自国語の文脈を入らなければ解ったとは決して言わない読者を想定して、自国語で考えながら且つ正確に理解させ得るかに努力する。

日本訳者は「社会科学というもの」の領域のなかで学問的内容を正確に訳出することに力点が置かれていて、日本の社会に住み日本語で考える読者を想定した上で、どう訳せば日本語の実感に結びつけならを正しく理解できる方向に努力が向けられていない。

社会科学の用語での困難

①自国語の文脈のなかで考えた正確さ

②国際的に通用する一定の論理的な内容の上での正確さ

一人一人が、日本語を、また日本語を生む社会を作りかえてゆくという困難な共同作業に参加しなければ、理論は、一人一人のなかに入って力となるどころか、理論の名において人を操作する学問となる。

最近はマルクス学でも、日常語にさかのぼった研究がある。読者でもマルクス理解に関する外国語の問題としないで、日本の社会科学の創造の門だいとして、その創造に参加してほしい。

そうすれば、一人一人のなかで社会科学の芽が育ってくるのを妨げているいくつかのものにぶつかられるはずである。

実験的なこれからの本の話のすすめ方

社会科学的認識の芽が育って過程に着目して、それにあわせる形で社会科学の歴史上、いくつかの結節点にあらわれる社会科学的作品をいくつか読む。

その本の読み方も、われわれ一人一人のなかで、社会科学的認識の芽が育っていく結節点、結節点というものに対応する形で、読み方の力点をかえて読む。

 

まとめの感想

なかなか難しい内容である。単語が難しいのでスラスラ読めない。この本を誰か解説して欲しいと思えた。気が向いたら第Ⅱ部も出します。