[坪内逍遥VS森鴎外] 文学論争で大げんか!没理想論争とは何か?

私は色々な歴史の文学論争をみていくうちに明治時代の文学論争の始まりに興味を持ちまとめたいと考えた。

明治前・中期には西洋の観念を受け取り、伝統的な観念の組みかえが行われてゆくがその過程で、文学の根幹にかかわるさまざまな論争が行われた。

その一つとして没理想論争について取り上げたいと思う。

坪内逍遥の『小説神髄』から論争が始まる

近代日本の文芸評論は1880年代半ばに発表された坪内逍遥の『小説神髄』(1885年~86年)に始まる。

その中の主張として「人情」ないしは「情欲」をあますところなく正確に描きだすことをし、逆に真実を犠牲にしてまで「勧善懲悪」などのおよその文学と関係ない教義を説く伝統的な日本の小説に対して交換を持つものではなかった。

坪内逍遥も気づいていたが、西洋の小説にも啓蒙の要素は含まれていたが、そこはあくまで「人情」が主で「勧善懲悪」は従であり、教義めいたものの論旨に添って人間の感情をどうこうするということは決してなかった。

さらに、坪内逍遥は「模写小説」こそ、小説の名に値する唯一の小説であり、滝沢馬琴の『八犬伝』などの作品にみられるような「勧善懲悪」は信じがたく、まともに文学としては受け取れないという結論に達している。

坪内逍遥はヨーロッパの傑作にも比すべき新しい日本文学の出現を求め多くの若い日本人が坪内逍遥の呼びかけに応じたが、首尾よく成功した人はほとんどいなかった。いずれにせよ『小説神髄』によって坪内逍遥は若い作家たちの眼に新しい文学の提唱者として認められ、時代を代表するような批評家として名声はこの先揺らぐことはなかった。

ここから1891年から翌年にわたって行われた森鴎外と行われた埋没理想論は日本の文学界に活気を添えることになる多くの論争の草分けとして文学史の重要な出来事になる。一つとして臼井吉見『近代文学論争』では森鴎外と坪内逍遥から1950年代半ばの「国民文学論争」までを論じている。

 

森鴎外は『小説神髄』に反対

坪内逍遥はもとより森鴎外と論争するつもりは少しもなかったようである。森鴎外は坪内逍遥よりも3歳年下であったが、森鴎外のヨーロッパ文学に対す造詣は坪内逍遥を上回り、坪内逍遥よい遥かに堅固な批評基盤を持っていたのからである。

案にたがわず『小説神髄』に対する反対意見の一つが、1889年10月、森鴎外自ら主宰する雑誌『しがらみ草紙』創刊号に発表された。森鴎外が坪内逍遥に反対した理由は坪内逍遥が戯作を攻撃したことでもなければ、小説本来の芸術としての重要性を主張したことでもない。

森鴎外は坪内逍遥の方法論が粗雑であり、かつ最新のヨーロッパ批評技法について間違った知識に基づいている点を突いたのである。森鴎外が『小説神髄』を重くみなかったことは、旧友の坪内逍遥について書いた人物評論の中でその書名さえ挙げなかったことでもわかるようである。森鴎外は『小説神髄』に感銘意を受けなかったようだが、他の多くの作家たち、特に幸田露伴と正岡子規は『小説神髄』のお蔭で戯作の泥沼からはい出せたと語っている。

 

坪内逍遥は『小説三派』を発表

1890年から91年にかけて『読売新聞』に数々の批評を発表し、自説を磨き、その第一稿『小説三派』で、坪内逍遥は当時の日本の小説を固有派(物語派)、折衷派(人情派)人間派の三派に分類している(当時、春陽堂から新作家の小説『新作一二番』の発行企画があり、その第四番までが発行されていて、逍遥が対象として論じたのはこの四冊の小説である)。

 

第一の固有派

第一の固有派は伝統的な手法で登場人物の浮沈栄枯流離転変は語るが、その人物の性格にまでは探りを入れない。

第二の折衷派

第二の折衷派はこれよりも登場人物の性格描写に力は入れているが事件は人物から生じない。つまり常に事件の方が人物に先行し、登場人物はすでに起きてしまっている事件に直面させられる。

第三の人間派

これら二派に対して第三の人間派の小説では、人物は紛れもなく事件より重要視されている。坪内逍遥はこれら三派を順に重要なものへと段階的に語ったように見えるが、坪内逍遥自身はそのような意図をのちに否定している。坪内逍遥はこれら三派に優劣をつけようとしたわけではなく、批評家の務めは文章現象を分類することにあって優劣の評価与えることではないと語る。

 

森鴎外が『しがらみ草紙』で応酬

これら坪内逍遥の説に対して、森鴎外は1891年9月の『しがらみ草紙』で応酬した。名称こそ違え、はからずも坪内逍遥がハルトマンの『審美学』同様に文学を3つの種類に分類していることに満足の意を表明した。しかし、森鴎外は、あくまでも三番目の人間派を第一と考えた( 森鴎外はハルトマンの『審美学下巻一八七面』に言及し、そこでハルトマンが「理想を卑みて個想を貴みたり」と指摘している)。さらに、観察と探究は確かに帰納的批評にならない手段ではあるが、それで事は終わらない、観察し、探究した後で判断を下すものは理想である、標準であると反論した。

ここまでふまえると図式は坪内逍遥より優勢に見える森鴎外が喧嘩をしかけていきそれに応じて反論しつつ意見を変えているとも見ることができる。

 

私の意見

私の意見としては現代でもこの小説三派は通じる考え方だと深く思った。物語でも固有派のものは物語が面白くても登場人物に愛着がもてないので面白みは半減してしまう。

ここだけを重視するとプロットの事件ありきで人物の行動はそのたびにチグハグに変わってしまうこともあるだろう。

折衷派ではキャラは立っているのだが、出来事が後からいろいろと追加されるジャンプ漫画の引き伸ばしのようなものだろう。

やはり人間派でキャラに魅力があった方がいいのである。

重要性としては人間派がもっとも重要であり、さらにこの3つの整合性をうまく組み合わせられたものが名作と呼ぶにふさわしいと思う。つまり森鴎外の意見を支持したい。

 

坪内逍遥は『マクベス評釈』で応酬

これに対して坪内逍遥は1891年10月の創刊号に掲載された「『マクベス評釈』の緒言」と題する一文で応酬した。坪内逍遥は評釈には2つの方法があるとし、1つは本文の義、語格など修辞上の意味を明らかにする評釈であり、もう1つは作者の執筆の動機となった理想ないし目的を解き明かそうとする批評である。

シェークスピアの戯曲を、理想を没却して現実に没理想であると述べた。没理想と呼ぶものはシェークスピアの芝居にとっては自明の特徴であると考えたいたのかもしれない。

 

坪内逍遥は最初、後者に専念していたが、ついには前者をとるようになった。なぜならいなる文学作品にも、時にシェークスピアの芝居はそうであるが、読者の理解の深浅によってあらゆる解釈が可能である。シェークスピアは、さながら自然がそうであるように作品の意図を持つ人物の人間とは明らかに違って、まったくの悪人でもなければ、完璧な英雄でもない。意地悪な継母でもなく天使のような母親でもない本物の人間同様、複雑で定義しがたい存在としてそこにいる。同じことが、あるがままの自然を描こうとする文学一派の作品すべてにいえる。

 

私の意見②

私としては作者の執筆の動機となった理想ないし目的を解き明かした後に、物語を読むとその物語が気持ちの悪い作者の自己満足にしか見えてこないので、好まない。作者が変人であろうが、理想を組み込もうが関係なく、物語だけから読み取れるものを考えるほうが物語に対しての色眼鏡なく見ることが可能であると考えている。

 

森鴎外がさらなる批判

森鴎外は坪内逍遥に向けて書いた一連の文章で批判を投げかけ、しばしばリアリズムとロマンティシズムの対立と見なされる。ライプニッツ、ショーペンハウエル、パルメニデース、シャフツベリー、ヴィクトル、クザン、そしていささか持ち上げすぎではないかと思われる鴎外お気に入りのエドゥアルト・フォン・ハルトマンなどを引用している。

お互いの意見がかみ合わない!

すでにここに到るまでの2人の論争でたとえば哲学観念の議論になるとお互いの意見がかみ合わなかった。

このときの坪内逍遥の主張は芸術の方法として写実主義をまるで信仰に頼らず、理想を追わず、現実を直視すべきとする学問上の実証主義ととり違えている。森鴎外の主張は、ハルトマン『無意識の哲学』を踏まえ、坪内逍遥の主張はまるで「本心は無心」というのに等しい、人情にも底があると難じている。

さらに、2人は理想という1つの言葉をまったく異なる意味で使っていた。

坪内逍遥にとって理想とは『小説神髄』で否定した文学評価の法則を上から押し付けないことである。森鴎外は芸術作品ならびにその作品を批判する批評家の普遍的な絶対的存在の理想像のことである。

 

坪内逍遥が論争を打ち切り!

坪内逍遥は森鴎外より早くこのことに気づき、「没理想」とは「無理想」のことではないと説明する。明らかに坪内逍遥はこの懐柔策によって論争を打ち切ろうとした。しかし、森鴎外は執拗にドイツ美学を総動員した。坪内逍遥は諧謔味あふれる言葉で反論し、森鴎外はさらに議論をむしかえす。坪内逍遥はこれに応えないで、論争は1892年6月、森鴎外の反論を最後に打ち切られた。

 

文学論争の反省

この論争をきっかけに坪内逍遥は請来の文芸批評で遭遇するかもしれない用語の問題に気づいた。批評家たちは頭に浮かんだ思いつきをただ無造作に書き溜めるのではなく、自分の意見は系統立てて述べなければならないことを学んだ。想像では坪内逍遥も最後には、三派うち最後の人間派のうち最後の人間派の方が他の二派より優れ、シェークスピアも表向きは何ら理念らしいことを述べてないが根底には理想をもっているとする森鴎外の考えに、賛意を示していたように思われる。

 

坪内逍遥はこの先、意見を変化させていくことになるがこれまで述べてきた論争をまとめると、私はこれらの根拠から森鴎外の意見の方を支持したいと考えた。

論争の白熱していた当初、坪内逍遥はどれも個性で批判するべきではないという意見であった。批評家としてもただの読者にしても,しっかりと批評してこそ本の価値が出ると考えられるのである。

まとめ

没理想論争に中身はなく無意味であったという意見もある。最後は論点がずれ、森鴎外のしつこさに根負けし、坪内逍遥は身を引いたが、この議論から近代日本文学論争が白熱していった事と当時に固定観念のあった勧善懲悪や儒教に人物を当てはめた戯作からの脱出として没理想として思想や意図や目的を排除する新たな文学の可能性として有意義なものであったと私自身は支持したいと思う。

読んだ本

伊藤整 『近代日本の文学史』 夏葉社 2012年

鈴木貞美『入門 日本近代文芸史』平凡社 2013年

著者 ドナルド・キーン訳者 角地幸男『日本文学の歴史』中央公論社 1997年

小谷野敦 『現代文学論争』筑摩書房 2010年

久松 潜一『日本文学評論史・近世近代編』至文堂 1976年

臼井吉見『近代文学論争』上 下 筑摩書房1975年

森 鴎外 『鴎外全集』第33巻 岩波書店 1974年